お寺と現代アート

CINRA.NETに下記の記事が掲載されていました。

黒瀬陽平が語るカオス*ラウンジ新芸術祭。震災後のアートを問う
https://www.cinra.net/interview/201805-kuroseyohei

記事の中身はアーティスト集団「カオス*ラウンジ」が福島県いわき市でおこなった「カオス*ラウンジ新芸術祭2017 市街劇 「百五〇年の孤独」」について、キュレーターの黒瀬陽平さんのインタビュー記事です。

この展覧会は、明治時代に起こった寺院の打ちこわしがなされた「廃仏毀釈」の痕跡を辿りながら3つの会場を巡る「市街劇」だったそうです。以下、気になる部分を抜粋します。

僕が震災後に感じていたのは、その「現実否定のモメント」にとても近いものでした。明らかに復興はうまくいっておらず、国力はどんどん下がり、社会は不寛容になり、多様性を失っていく。日に日に現実がクソだということが確定していくわけです。

そのような現実に慣れてしまうと、最初に死んでいくのが想像力です。今目の前にある現実に縛られ、そこから逸脱する想像力を失ってしまう。だからこそ、被災地を舞台にした「市街劇」という形で、現実の制約から想像力を解放したかったんです。

寺院や墓地、旧跡を巡りながら過ごしてきて気づいたことは、ギャラリーや美術館といった施設が輸入される以前は、寺院こそがその役割を担っていた、ということでした。寺には宝物がある。そして常駐して管理している人、つまり住職さんがいる。そこでは芸術が守られ、人が集まり、コミュニティの拠点になっているという意味で、寺はすでに昔からギャラリーであり美術館だったわけです。

にもかかわらず現在、寺に現代美術が入っていないのはなぜなのか。たしかに、現在美術とコラボレーションしている寺はあるし、寺院建築を活かした展覧会なども少なくない。でも、そのような企画をやっている現代美術家やキュレーターのほとんどは、仏教について考えるだけの知識を持っておらず、きわめて表面的なレベルでコラボレーションしているケースがあまりに多い。

今の現代美術と仏教の関係は、お互いビジョンや理念をほとんど共有しないまま、「オルタナティブ」なアート活動のバリエーションに堕してしまっている。そればかりか、寺の側も動員が欲しくて現代美術家やキュレーターに声を掛けているだけのケースすらある。そうなったらもう「地域アートで町おこし」と何も変わらない。

記事中にもありますが、北川フラムさんが行っている活動も面白いですし成功していますが、こういった「カオス*ラウンジ」のようなインディペンデントなイベントもとても面白いと思います。震災というタブーに挑戦しているため、助成金などの公的な資金援助も得られず自前でやっていくのは大変なことだと思いますが、意味のあることですし、アートの本質的な部分だと思います。

各地域やお寺には歴史があり、物語があります。そういったものを掘り下げて現代的な表現方法で表現することはとても重要な気がしますし、今後のお寺運営の鍵になるのではないでしょうか?

やはりお寺とアートは相性が良いですね。今後はもっとこういったイベントがお寺で開催されるようになることを望んでいます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る