【てらさんぽ vol.7】池上本門寺(東京都大田区)

みなさんこんにちは。
てらさんぽの7回目は大田区の「日蓮宗大本山長栄山 池上本門寺」です。
日蓮宗の大本山ということもあり、とてつもないエネルギーを感じました。

歴史

日蓮聖人の御入滅 
宗仲公をはじめ、弟子たちの介抱にもかかわらず病状はすすみ、臨終が近いことを悟った日蓮聖人は、10月8日に後継者として本弟子6人(六老僧)を定められたのち、同月13 日、齢61 歳で御入滅された。翌14 日、弟子たちは葬送の式を営み、荼毘に付したのち、御遺言によって御遺骨は身延山へ納められた。宗仲公の邸宅は当山西谷にあって、現在の大坊本行寺がその故地にあたる。御荼毘所もその傍らに位置し、現在では宝塔が建立されている。

中世 
日蓮聖人御入滅の後、宗仲公は当山を六老僧の1人、日朗聖人に付与し御入滅の霊跡として伽藍を整備された。日蓮聖人7回忌にあたる正応元年(1288)には、大堂に奉安されている日蓮聖人御尊像(重要文化財)が、六老僧の1 人日持聖人らによって造立されている。日朗聖人は、自らが布教活動の拠点としていた鎌倉比企谷の長興山妙本寺と当山の貫首職を兼任した(両山一首制、昭和16 年まで続いた)。
以来、当山は多くの末寺を組織して本寺としての発展を遂げ、身延山久遠寺(公式サイト)とともに宗門の最重要寺院に位置づけられるようになった。

近世 
徳川家康が江戸へ入府すると、第12 世日惺聖人はその居を鎌倉から池上に移し、以来貫首は池上に常住する。これにより、当山は徳川家や加藤清正などの諸侯の外護を得て更なる発展を遂げ、大伽藍を形成するに至った。江戸後期には、江戸市中の人々における祖師信仰・法華信仰の高まりとともに、寺運はますますの隆盛を迎える。当山で営まれる日蓮聖人御命日の法要「お会式」には江戸より庶民が群参し、賑わいを見せるとともに、浮世絵の題材としても取り上げられた。

近代 
幕末には、江戸城攻撃のために東征した官軍が当山に本陣を構えるなど、動乱の影響を受けた。この時、江戸城の無血開城のため西郷隆盛と勝海舟が当山奥庭の松濤園で会見したとされる。明治時代には新制度下の混乱と改革の嵐に見舞われるなか、第65世新居日薩聖人の尽力によって宗門の近代化が進められていった。

戦災と復興 
昭和20 年4月15 日、京浜地区南部の空襲によって、大伽藍と厳重に格護されてきた御霊宝のほとんどを失った。しかし、猛火のなか身命を賭した寺僧の活動によって、日蓮聖人御真蹟を中心とする特に重要な御霊宝は焼失を免れ今に伝わっている。また、伽藍は堂宇56 棟を焼失するという未曾有の大被害をうけたが、先師先聖の御尽力と檀信徒のご丹精により復興を遂げ、今日に法灯を伝えている。

※引用元 http://honmonji.jp/outline/engi.html

利便性

いくつか行き方はあるのですが、東急池上線経由がおすすめです。
池上駅から徒歩10分程度です。
お寺の周りには飲食店も多く、観光に適した街づくりになっています。

ご利益

開運招福・厄除け・眼病の回復・合格祈願・良縁成就

御朱印

まとめ

境内には力道山のお墓があることでも有名です。
それに因んでか、多くの格闘家が池上本門寺に訪れるそうです。
仁王門までの階段は少しきついですが、境内は広く、とても満足のいく空間となっています。
個人的によかったのは、「総門」です。
形状は全く似ていないのですが、黒澤明監督の「羅生門」を思い出しました。
歴史を感じ、不思議な魅力が漂っていました。ずっと見ていられます。

「池上駅」はあまり観光地という感じでもないですが、たまに息抜きで行ってみてはいかがでしょうか?

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