【てらさんぽ vol.3】寛永寺(東京都台東区)

てらさんぽの第三弾です。
今回は、天台宗の別格大本山「寛永寺」に行ってきました。

歴史

寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。
後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。
※引用元 http://kaneiji.jp/

1625年(寛永2)

寛永寺、德川家の祈祷寺として開創。本坊落成「寛永寺円頓院」の勅額を賜る。

1627年(寛永4)

常行堂・法華堂・輪蔵・東照宮・仁王門・多宝塔・三十番神社等建立。

1631年(寛永8)

五重塔・鐘楼・漆喰大仏・祇園堂・清水観音堂建立。

1636年(寛永13)

日光山の本地堂を寛永寺に移し元三大師を安置す。

1643年(寛永20)

天海、東叡山において入寂。第2世公海大僧正ご就任。寛永寺に住して日光山を兼務す。

1680年(延宝8)

德川家綱、寛永寺に葬られる。これより寛永寺が德川家の菩提寺を兼ねる。

1709年(宝永6)

德川綱吉が葬られる。常憲院殿(綱吉)霊廟造立。

1751年(寛延4)

德川吉宗が葬られる。

1786年(天明6)

德川家治が葬られる。

1841年(天保12)

德川家斉が葬られる。

1856年(安政5)

德川家定が葬られる。

1870年(明治3)

東京府、寛永寺境内神社関係建築物撤去を命ず。輪王寺門跡号廃止。

1945年(昭和20)

東京大空襲にて德川家霊廟・子院多数・不忍池辯天堂焼失。

1958年(昭和33)

浅間山観音堂建立、不忍池辯天堂再建。

1963年(昭和38)

德川家御霊殿再建。

1968年(昭和43)

不忍池大黒堂再建。

1993年(平成5)

開山堂再建。輪王殿開館。

2003年(平成15)

天海版木活字、重要文化財に指定。

利便性

最寄の駅は「上野駅」となり、上野公園の近くにあるので利便性は高いと言えます。
美術館や博物館も近いので、まとめてインプットできそうです。
徒歩10分ほどでアメ横にもいけるのでお食事やお買い物も堪能できます。
デートなどにもおすすめです。

ご利益

金運、子宝、恋愛

参拝方法

1.山門の前で合掌して一礼し、右足から入る。敷居は踏まない。

2.山門から中は、仏様がいらっしゃる場所です。
胸の前で合唱したままお辞儀し、右足から入ります。男性の場合は左足からです。敷居は踏まずにまたぎます。

3.お賽銭は投げずにそっと入れます。胸の前で合掌したまま一礼したら、お焼香へ。
親指と人差指、中指の三本でお香をつまみ、額の前に掲げます。そのとき左手をそっと添え、静かにお香を香炉に落とします。

御朱印

まとめ

駅から少し歩きますが、距離は気になりません。
江戸の鬼門を封じ込めていたということで、かなりのパワースポットではないでしょうか。
上野公園へ遊びに行った際に是非、足を運んでみてください。

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